店長の夏休み 5
大山から次の目的地 境港へ
境港は水木しげるロードへ立ち寄りました。
たくさんの妖怪たちが並んでる通りです
ブロンズのオブジェ 一体一体 リアルに出来ています
竹切狸
妖怪倉庫
なつかしい雰囲気のお菓子やさん
妖怪神社
時折あらわれる着ぐるみは人気者でした。
すなかけ屋
くつろいだ感じのねずみ小僧
パン屋のウッドデッキで簡単なお昼をいただきました。
ちょっとお気に入りの電球
連続してあらわれる銅像がたのしいな~
銅像の連続
もう暑い~
家族連れでゆっくり楽しめます。
昔なつかしい妖怪たちを眺めながらゆっくりとまわったゲゲゲロード
家族に電話して さあそろそろ帰路につきましょう。
このあと9号線で八鹿氷ノ山まで走り 北近畿豊岡道~舞鶴道~中国道で帰ってきました。
全行程800キロの間 帰り道に少し降った程度でほとんど傘なしで回れたのは幸いでした。(店長 : わたなべ)
夏休みレポート 全5編になってしまいました、長々とお遊びの紀行文にお付き合いいただきありがとうございました。
店長の夏休み 4
夕方 今夜の宿泊先大山の麓「旬香」さんに到着。Pm5:00をまわっていました。
ここはワンちゃんと一緒にお泊りができるリゾートホテルです。
お盆前にインターネットで検索して見つけました。いい具合に空室がありラッキーでした。
お部屋から大山が見えました
ここにはおおきなドッグランがありました。はや秋桜が咲いていました。
いってきま~す
暗くなる前でしたのでぼくだけでした。
ここ旬香さんはペンションを改装してワンちゃんと泊まれる宿にされたそうです。
お庭にはたくさんのお花が
ごはんも同じ席でいただけました。
敷地内には別棟が ここもよさそうだな~
翌朝 大山へ向いました。頂きは曇ってますがなんとか雰囲気は感じとれます。
ここはいいね~ (まきばみるくの里)
引っ張ったらあかんよ
なんかいるよ
うしさんでした。
ここは大山高原の裾野から美保湾まで見渡せる絶景スポットでした。
このあとふたたび米子道で境港へ向います。
続く(境港編)
店長の夏休み 2015
今年は念願の出雲詣でを計画しました。 (8月18日~19日 1泊2日の行程です)
(蒜山SAにて)
今回も営業部長のモカと同伴の道中
いろいろと制約が多いのはもちろんのこと今回は久しぶりのお泊りとあってプランを練るのが難しいですね~
まずスタートは宝塚ICから中国道に入りあと米子道~山陰道で出雲に入るルート
途中2回 SAで休憩しましたが宝塚IC Am 5:00~出雲IC Am8:40 でしたので 里程300キロですとまあまあのペースで走れたことになります。
ようやく大きな鳥居が見えてきました。中央の額の部分だけで6畳あるそうです。
(先日放映のブラタモリで言ってました)
神門通りの駐車場は無料です。朝9時ではまだ空いていました。
今回このようなスタイルでまわることになりました。「これは楽チンだワン」
人影も疎ら 電柱が無いためか空が解放的
ここはよく画像で見る場所です。振り返ると
遠景までよく見渡せる景色です。彼方に先ほどくぐった大鳥居が。なかなか雄大です。
石畳の参道を下って
もうそろそろ歩けない~
やれやれ
大注連縄に到達、残念ながら遷宮工事がまだ続いており囲いで養生されていました。
これ、たくさん藁がいるだろうな~ついそんなふうに心配してしまいます。
ここ出雲大社ですがうちのモカ君(ワンちゃん)の立ち入りはOKです。(伊勢神宮はダメだそうです。)
ようやくたどり着いた大社本殿 伊勢神宮と違ってかなり近寄れました。
松 社殿 日の丸 。。厳かです。
本殿の真裏に回り込めました。うさぎのかわいいオブジェが
ぐるっと1周出来るので神を身近に感じることができます。
ここら、いわゆる「空気が変わる」といわれる神の領域です。たしかにちょっと違いました。。
はずれにぽつんと建つ彰古館 大社の歴史資料館だそうですがこの建物も古そうです。
調べてみると大正3年(1914)建立 百年まえか~すごいな~
わぁ~い はしれ~~
帰路 ふたたび鳥居の前でこの景色 逆光の大鳥居が威圧的です。
そのまま通りを南下しますとかわいい建物が
一畑電鉄(通称 バタデン)の出雲大社前駅、バタデンはちょうど宍道湖の北半分を覆うように走っています。
中から見ると色硝子がきれいでした。レトロな駅舎、1時間に1本程度の列車密度でした。
改札からホームを見ると何やらクラシックな車両が
デハ二50系という旧型電車 休車中のようでしたが実際には廃車扱いとのこと。中が見学できました。「やった~」
車内、硬いロングシート。 阪急電車も昔こんなだったな~
超シンプルな運転台 これで走らせてたのね。。出発進行!
映画「ALWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」で主人公の中井貴一さんが運転したのがこの電車。
2009年8月に撮影のため1カ月間営業線上を走ったそうです。
現在は廃車になってしまいましたが 今にも走り出しそうな雰囲気できれいな状態で保存されておりました。
予想外にレポートが長くなってしまいましたので続編に続きます。(店長 : わたなべ)
終戦記念日に想う
集団的自衛権の行使について容認する声があります。
戦後70年 行使しなかったため平和であったことは事実で
(画像は本文とは関係ありません 2012 8月 葛城山上にて)
230万人の犠牲の上に今日の日本が成り立っていることも事実。
平和憲法のたどり着く先は何処なんだろう?
(本文とは関係ありません 2012 8月 葛城山上にて)
今後、戦没者を一人も出さない、
私たちの子や孫を戦地へ行かせない世の中でないと絶対に困るな、とか
今ある自分に感謝し 平和とは何かよりいっそう考えてしまう今年の8月15日です。
明日16日から20日までおやすみをいただきます。
ご迷惑をおかけいたします、よろしくお願いいたします。(店長 : わたなべ)
梅雨の晴れ間 薬草園へ
以前より訪ねてみたかった奈良県宇陀市大宇陀の森野旧薬園へ行ってまいりました。
江戸時代から残る古い町並みの中 室町時代創業の森野吉野葛本舗
その裏山が現存する最古の民営薬草園
現在、吉野葛をなりわいにされている森野吉野葛本舗さん
店舗内を通り抜けて裏山にある薬草園へ
いきなりの坂道 山全体が薬草園になっているとのこと ゆっくり回ると40分ほどかかるそうですが
登り切ったところに建物が 蔵と茶室がある「知止荘」
1930年 寄付によりたてられた宝物庫 蔵内部には寄付者の名が掲示され
武田長兵衛、津村重舎、藤沢友吉—製薬業界の大御所らの名が
ここ薬園の存在を重要視されていたのでしょう。
あちこちにある薬草 効能や使用部位など細かく案内されていました。
以外な植物が薬草であることに驚きました
興味を惹いた薬草木見本
幕府が貴重な種苗を提供し植えたのが薬園のルーツだったのでした。
目的は栽培法を研究させること、高価な輸入薬が財政の重みになっていたので
国内でまかなおうとしていたこと など当時の施策などをうかがい知ることができます。
園内 なだらかな坂道をのぼると
ちいさな建物が ここにも可愛らしい茶室がありました
当時から現在に至る歴史的背景を想像しながら歩くとさらにイメージがわいてまいります。
薬草を採取しこの石段を上り下りしたんだろうか・・・
幕府から譲り受けた薬草の栽培を現在も続けておられるということ
むかしのままの姿で残っていること
手入れがあまり行き届いてない感じが往時を偲ぶには逆に好感を持てました。
また違う季節に訪ねてみたいです。 (店長:わたなべ)